三国志演義後半の武将物語

三国志演義の後半(孔明死後)の物語、活躍した武将たちの解説、三国志ゲーム、三国志にまつわることを気ままに書きます。

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三国志蜀の武将

魏延 part2 孤高の戦士 謀反を起こしたと思われ楊儀たちに殺されてしまった…

2016/09/22

どうも!

諸葛菜です!
魏延さん・・・孔明死後の三国志演義後半のブログを書き始めてから、なんとなく気になるキャラとなりました。

前回記事:魏延 孤独で自信過剰で勇猛で忠誠心があった蜀の武将

彼に対する不名誉な扱いに対して、同情心が湧いて来ました。

※後ろの馬岱は「埋伏のポイズン」です。

weiyan2
特に、ランボー2の怒りの脱出とかぶりまくりです。
捕虜を連れて脱出し…救出ヘリが目前まで迫ったのに、乗せてもらえず。葫蘆谷の火あぶりとシンクロします。
無線機を手にした魏延が猛る!

ywanwo
「マードック(孔明)・・・殺しに行くから待ってろ…!」

 周囲にいたロシア兵(司馬昭、司馬師)をボコり、脱出!

魏延にとってトラウトマン大佐である存在の劉備が死んでからは、諸葛孔明というマードック司令のもとで奮戦。自分の担う責務が重くなっているにも関わらず、蜀陣営における彼の居場所がだんだんと狭まっていく…。

魏延がランボーだとしたら、楊儀、費イ、趙直らはマードックの取り巻きのモブ軍人です。ヘリコプター運転していた奴が楊儀ねw

 

味方に置いてきぼりにされ、殿(しんがり)という名の捨て駒にされる!

さて、孔明死後の魏延の動向を追ってみましょう。演義でも吉川、横山三国志でも悪者に描かれています。

孔明死す!
その報は、一足遅く魏延のもとに届きました。
魏延は自分の頭にツノの生えた夢を見たので、鬱鬱としていると趙直が、

「吉兆でござる」

と、言われたので純な魏延はこの言葉を信じ有頂天。死亡フラグとは知らずに…。魏延は費イから、孔明が死んだことを聞き落胆しましたが、楊儀や姜維に後事を託したのが気に入りません。費イは楊儀からの伝達事項である「殿(しんがり)をつとめよ」を魏延に伝えました。

楊儀は自分よりも地位が低いのに、いくら諸葛丞相のご遺命とはいえ、はいそうですかとは言えないでしょう。

「楊儀は一長史。おれは前軍征西大将軍南鄭侯だ。楊儀の命令などきけるか!」

ごもっとも!(・ω・)/

非常事態、かつ遺命とはいえ、官位を無視した人選では普段仲の悪くない人間同士でも軋轢が生まれるもの。

楊儀、魏延間ではなおさらです。

もしや、魏延を早々に除くために、あえて軋轢を生じやすい人選にし、互いに牽制し合うよう仕向けたのか…。
恐るべしっ!マードック孔明!( ゚д゚)

madogo
孔明が亡くなった今、戦うことはおろか、無傷で撤兵するのも難しい状況です。

そんな中、魏延には内緒で蜀軍は全軍撤退。ひでえ!( ゚д゚ )!!

いくら危険人物扱いされている魏延とはいえ、置き去りはあんまりではないですか?

 

背後からの凶刃には…如何に武力90台とは言え避けられぬ!

一兵卒に落とされた馬岱とともに、孔明の棺を持って引き揚げた楊儀、費イ、姜維らを追いかけます。途中で何平(王平) に遮られましたが、魏延の爆進を止めることはできません。

しかし、魏延の部下たちは戦意に乏しいため、豪胆な魏延も不安になり、魏へ降ろうかと思案し始めました。自分の部下が逃亡し始めたので、2,3人薙刀でスライスしていました(汗)。

馬岱に説得され、魏へ降るのはやめ、漢中をとり蜀を己のものにせんと企てました。
後は皆さんご存知の通り・・・。

魏延が漢中に到着。そこにはすでに楊儀軍が陣取っており、孔明が残していった錦の袋に入っていた指示通りに魏延をはめました。

「『俺を殺す者があるか!』と三回言えっ!そうすれば漢中を明け渡す」

と、楊儀に言われたので、魏延は3回でも3万回でも言ってやろう!と応じます。

「俺を殺す者があるか!」

「ここにいるぞお!」

馬岱のアタック!
で、皆様ご存知の通り、終了。

浮かばれない最後でした。

横山三国志では董允が到着した際、

「ひと足遅かったか・・・」

と、一言。

もし、このとき董允が仲裁に入って魏延・楊儀らがとりあえず表面上でも和解して帰国したら…。

 

魏延将軍は大組織の中では活躍しづらいタイプだったのか…?

ランボー2の日本語吹き替え版の時のように、

waigaan

「俺が国(蜀)を愛しているように…国も俺を愛して欲しい」

と、劉禅皇帝の御前で言って欲しかった…。
皆さんご指摘の通り、劉備時代の蜀陣営と孔明時代のそれとは雰囲気が違いますよね。

どちらが良い悪いというものではありません。
劉備は蓆売りから始まり、凄まじい苦労をして蜀の皇帝となりました。
這い上がっていく過程の中で、諸葛亮のような軍師はもちろん必要でした。

ただ、一騎当千の武将で時には「抜け駆けの功名」(と言ったら言い方が悪いけれど)をするような武将が必要でした。戦の雰囲気を読んで自己判断で押し進めていく我の強い武将がいたことによって、生き残ってこれた部分が多くありました。

他方、劉備が亡くなり、孔明が全面的に指揮をとるようになった頃は、支配する領土も大きくなり、国としての機構もほぼ形になりました。

そうなってくると、組織的に運営していく必要があります。

一騎当千型の武将が総司令の命令に従わなかったり、自分なりの判断で動く人物ばかりだと、国・軍隊としてのまとまりが欠けてしまいます。魏延は勇猛で忠義心はありましたが、孔明他官僚と感情的に合わない事以外に、そういう部分になれなかったのではないでしょうか。

う~ん。

現代の会社組織に似たものを感じますね…。

起業したばかりの頃は、数人の優秀なブレインが強引な手法でもガシガシ営業して売上を上げる。会社が大きくなる。一部上場すると、社会的な知名度も上がり、組織もだんだんと官僚化してくる…。

こういった変化に慣れないと、干されたり、どこかに飛ばされたりしていますしね・・・^^;
魏延の評価が少しでも変わればいいのになあ・・・。

jigoku

PS:魏延の他にも趙直、李福、楊儀、王平らも今度書かなきゃ^^;
おっしゃるように、かれはまさしく孤高の戦士ランボー。









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