三国志演義後半の武将物語

三国志演義の後半(孔明死後)の物語、活躍した武将たちの解説、三国志ゲーム、三国志にまつわることを気ままに書きます。

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三国志魏(晋)の武将

羊コ part2 後期三国志の英雄!謙虚にして無私 私利私欲むき出しのどす黒い武将とは器が違う!

どうも!
諸葛菜です!

羊コの武を余り用いず、柔をもって包み込むようにして、荊州を守備する呉軍を削っていった・・・。

百度:羊祜より

 

呉討伐を考え始める

276年、羊コは征南大将軍に上った。
荊州を守備していた陸抗が、『羊コと通じている』と呉帝孫皓に疑われ解任された。羊コはこの機を逃さずに呉を攻めるよう司馬炎のいる晋朝廷へ上奏。司馬炎は大喜びでこの提案を受け入れようとしましたが、賈充らに反対され却下。

「天下の事は十中の八、九は思いのままにならぬものじゃ。今、天が与えてくれたおりをみすみす見逃すとは、いかにも残念じゃ」

と嘆息。

演義を見た時は賈充、荀勗、馮統らヘタレどもがっ!と思いましたが、この当時は涼州で羌族の大反乱があったんですよね。楊欣、牽弘、胡烈ら蜀討伐戦で活躍した武将たちが次々と討ち死にしていました。

この乱を治めるのは、馬隆の登場を待たなければなりません…。

 

熱すぎる謙虚な漢

さて、羊コ。

278年に司馬炎は羊コを南城侯に封じ、待遇を公爵と同様にしようとした。しかし、羊コは

「先帝司馬昭様より賜った鋸平侯の位があるのに、これ以上重い位を頂くわけにはまいりません」

と拒否。羊コは昇級の沙汰を受けようとする際、いつもこれを謙虚に拒否していた。このような気風は当時として非常に珍しいものでした。

こんな性格のため、羊コは朝廷、在野を問わず尊敬を集めていました。羊コは大臣らに国家のことについて意見を求められても、自分の利益は一切考えずに発言した。羊コは部下や同僚の功績を褒め称える内容を上奏する際、その文書を絶対に保管させず、焼却処分させていました。後世の人間に、自分が良いことをしたということを知り得ないようにするため。羊コが推薦した人材たちは、なぜ自分が朝廷より招きがあったのかを知ることはありませんでした。周囲の人から、羊コはあまりにも謙虚すぎると言われていたそうですが、このスタイルは絶対に変えなかったそうです。

現代社会でもこんな人は滅多にいないであろうな…。

 

羊コの息抜き

羊コは山に登ったり、川で遊んだりするのが好きで、人を伴って遠足に行くことがよくありました。一日中酒を飲んで、談笑していてもまったく疲れを見せなかったと言われています。

羊コは側近の鄒湛をともなってケン山に登った折、

「この山は、古から数多の賢人才士を迎え入れてきた。それなのに私やお前のような者も登ってきた。なんと贅沢なことであろうか。だが、彼らの名は全て歴史に埋もれてしまった。なんと悲しく寂しい事だろうか。死んでからも魂となってこの山へ登りたい。」
すると、友人は

「あなたの徳の高さは先人にも勝り、四海を覆い、知らぬ者はおりませぬ。あなたさまの素晴らしさは、この山とともに伝えられていく事でしょう。」

 

羊コの管轄区付近で賊が発生!

あるとき、賊徒が晋・呉国境の村(無国籍地帯?)を遅い、近隣の百姓を拉致っていきました。羊コはあえてこの賊を追わなかった。そのため、武帝司馬炎は詰問の使者を羊コの元へ遣わしました。

羊コは、

「江夏は襄陽から800里あまりも離れている。我々がこの知らせを聞いたあとに駆けつけても所詮間に合わない。軍を率いて追撃してもしかたのないことだ。もしこの時、兵士や民兵を動員して救いに行ったら、賊を追い打たなかった罪を免れていたのか?

これは私のすることではない。以前、魏の武帝が各地に都督を置いていた。それは地理上、兵制に則ったものであった。しかるに、境界の守備というものは守るを第一とし、軽々しく動かないこと。これは古代から伝わっている教訓である。国と国の境界線をはっきりとつければ、わけのわからない賊もはびこらないはず。国境線が定まっていないから賊が起こるのだ」

と、答えたため、使者は何も言わずに引き返した。

 

羊コ、洛陽へ帰還

278年、羊コ58歳。この時、病が重くなり洛陽に帰国したい旨を上奏。7月、羊コが洛陽に戻るとき、姉が死去。姉の死は羊コにとって大変な哀しみでした。羊コは司馬炎に謁見し、呉討伐について意見を述べました。司馬炎は羊コを大変尊敬していたため、車で入殿させ、跪かせずに司馬炎と向い合って話をすることができました。

まもなく、羊コの病が重くなり、参内できなくなった。呉の討伐は新皇帝の課題…。司馬炎は張華を派遣し、呉の討伐作戦を聞きに行かせ、羊コは張華に、呉討伐に関する自分の意見をすべて話しました。

張華は羊コの意見に深く賛同。 羊コは

「私の志をなしてくれるのは、まさに君だ」

と、張華に言った。これを聞いた司馬炎は、呉を討つため寝たきりでもいいから羊コに出陣してほしいと頼みました。羊コは、

「呉を討つのに私が出て行かなくても、平らげることは簡単でしょう。しかし、問題は呉を平定した後です。その後のことを司馬炎さまにはよく考えていただきたいのです。呉平定後は、天下の礎を築く必要があります。その仕事を出来るふさわしい人材(後継者)を選んでください」

と、言いましたが、司馬炎は結局司馬衷を後継に選んじゃうんですよね。

羊コ・・・本当に漢だなあ。まったく自分の利益を考えず、国のため、人民のために奉仕する姿は、孔明のようですね。戦い方も武力を用いるのではなく、仁徳を発動しまくって、敵国の軍民を懐柔してくのは、彼独特の戦いではないでしょうか。
孔明の死後はあまり注目されない三国志ですが、良い武将はちらほらいるんですよね・・・。もっとスポットを当ててほしい武将の一人です。っていうか、コーエーさん・・・三國無双8くらいでは絶対に出演させてくださいよ(゚д゚)!

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