三国志演義後半の武将物語

三国志演義の後半(孔明死後)の物語、活躍した武将たちの解説、三国志ゲーム、三国志にまつわることを気ままに書きます。

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三国志魏(晋)の武将

陳泰 part2 羌族をうまく使って姜維を敗走させた智将

どうも!
諸葛菜です!

最後まで紹介しきれていない武将が多く、なんとか書き終わらせたいところです。姜維も確かまだ完結していなかったような。

さて、陳泰です。

百度:陳泰より

 

前回記事:陳泰 男気あふれる魏の忠臣…知勇兼備の良将です!

 

姜維の仕掛けた羌族を逆手に取る!

演義第109回です。
蜀の姜維がまた北伐を開始。今度は事前に金品で羌族を買収し、そそのかすよう郤正先生に命じました。迷当大王、俄何焼戈(ガカショウカ)に5万の軍勢を挙げさせることに成功しました。

これはまずいと思った郭淮・陳泰は魏の大本営に早馬を立てました。司馬師は司馬昭・徐質に命じて援軍を打ち立たせました。姜維軍と司馬将軍は激突の末、徐質が戦死、司馬昭軍団は鉄籠山に追い詰められ、風前の灯火です。郭淮は司馬昭を案じ、すぐに鉄籠山の麓にいる蜀軍を蹴散らすべきと言いましたが、陳泰、

「姜維は羌兵と一手になって、まず南安に攻めかからんといたしております。もはや羌兵が到着いたしておるゆえ、将軍がかしこへ加勢に参られれば、羌兵がわが方の虚に乗じて背後を衝くは必定。まず人をやって羌人に偽って降参させ、内通いたさせるがよろしゅうござります。羌兵を追いのけることができれば、鉄籠の囲みもおのずと解けるでござりましょう」

郭淮は陳泰に命じ、5000騎を率いて羌王の元へ行かせました。
陳泰、鎧兜を取って投降。

「郭淮は驕り高ぶって、日頃よりそれがしを殺そうといたしておりますゆえ、降参いたしてまいりました。それがし、郭淮の陣中の様子は隈なく承知いたしております。今宵、一軍を率いて夜討ちをお掛け下さらば、成功は疑いござりませぬ。魏の陣地へ参らば、内通の手はずをととのえてござります」

舌先三寸で、羌王迷当を丸め込みます。さすが智将。コロリと騙されてしまったかわいい迷当は大喜びで、俄何焼戈と陳泰に命じて魏の郭淮の陣へ夜襲をかけさせました。もちろん、俄何焼戈は殺され、すぐさま魏軍は迷当大王の元へ殺到。大王を縄でふん縛ります。

郭淮は迷当大王を許し、蜀軍陣地へ奇襲をかけさせました。姜維を敗走させ、司馬昭を救い出すことに成功。

後年、彼らと同族若しくはそれに近い連中である羌族、鮮卑が反乱を起こし、司馬炎が脂汗を流すことになるとは、この時の騙されっぷりを見る限り、想像だにできません。やっぱり、他人にそそのかされて戦うのと、自主的に反乱を起こすのとはモチベーションが全然違うのでしょうね…。

 

王経を助ける!

続いて演義第110回。
雍州の刺史王経が姜維に大敗し、陳泰はトウ艾とともに援軍に駆けつけました。狄道城を包囲中の姜維に奇襲をかけ撃退。このまま蜀へ帰るのかとおもいきや、諦めの悪い姜維は、南安を衝こうと食い下がります。

陳泰・トウ艾らは姜維の動き、思考パターンはお見通し。要所要所に伏兵して、蜀軍大将鮑素を討ち取るなど、蜀軍を削っていきました。姜維を撤退まで追い込み、陳泰は更に追撃。姜維軍を完全包囲。姜維を打ち取ることはできませんでしたが、救援に来た張嶷を討ち取りました。

演義では、この戦で蜀の2将及び孔明時代からの歴戦の兵士たちの多くを討ち取りました。司馬昭も陳泰は決断力があり、実務能力が高いことを褒めていました。

 

司馬昭、賈充が曹髦を弑逆!

演義第114回。

遺体となった曹髦を抱き上げ、男泣きになく司馬孚。
そして、王経の刑死。

司馬昭は百官を集めたが、陳泰だけは来ていません。司馬昭は陳泰の舅荀顗(じゅんぎ)に命じて呼びにゆかせました。

「ちょっと・・・来てくれないとさあ…ウチまで大変な事になっちゃうよ(汗);;」

「世の人々はそれがしを舅御とくらべるが、舅御も今となってはそれがしにもおよばなくなられましたカッ!!!」

と激しく泣き、喪服を着けて参内。天子の霊前に泣き伏してしまいます。

これを見た司馬昭は大慌て。司馬昭も空涙を流して(原文ママ)。作者の羅貫中さん、司馬昭の大根っぷりを見逃さず、きっちりと斬ってくれました。

「今日のことは、一体どう始末をつけたらよいか」

「賈充を斬ればいささか天下に侘びができましょう」

「もう少しおだやかな方法はないか?」

「これより手厳しくはなっても、手ぬるくはできませぬ」

「大逆無道の者は成済じゃ!(略)」

賈充に命令されただけの成済兄弟を処刑。

司馬昭は成済兄弟を人身御供にして、無理やり終結させましたが、陳泰のはなったセリフ「これより手厳しくはなっても、手ぬるくはできませぬ」とは、司馬昭を死刑にすることなんですね。

私は一度読んだ時は何も気づかずにスルーしてしまいましたが、読み返すと時の権力者に対してとんでもないセリフを吐いていたことに気づきました^^;

司馬昭とのやり取りは逸話かもしれませんが、そんな逸話が残るほど潔く、剛直な人柄だったということが感じられますね。

父陳羣の業をきちんと受け継いだ、超優秀な二代目でした。

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