三国志演義後半の武将物語

三国志演義の後半(孔明死後)の物語、活躍した武将たちの解説、三国志ゲーム、三国志にまつわることを気ままに書きます。

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三国志呉の武将

孫亮 孫権の息子にして聡明なる皇帝 いろんな意味で惜しかった!

どうも!
諸葛菜です!

今回も皇帝キャラでかっ飛ばすぜ!

泣く子もときめく孫亮様だっ!

百度:孫亮より

 

孫亮(243-260年)
父:孫権 兄弟:数え切れず(汗)

 

サラブレッド諸葛恪に肝を冷やされる

演義での登場回は108回。
孫権の死後、皇帝となりました。演義では書かれていませんが、孫亮が皇帝なるまでにどれだけの血が流れたか・・・。それは今度書くとして、演義での孫亮。

9歳で皇帝になったと思ったら、いきなり魏に攻め込まれてしまいます。皇帝としての出だしは、はっきり言って曹芳よりもしんどいです((汗))。

優秀な部下たちが撃退したものの、諸葛恪というサラブレッドが立ちはだかります。呉を防衛したまではよかったのですが、諸葛恪は魏へ北上してしまい大惨敗。孫亮はそんな諸葛恪のすさんだ心を癒そうと親しく館まで見舞いに行きました。

しかし、逆に危機感を抱いた諸葛恪は先手を打って、敗北の責任を部下たちに押し付け、処刑、流刑などを強制執行。これには10歳の孫亮も恐れおののき、孫峻・滕胤の諸葛恪暗殺計画を持ちかけられ、実行するよう指示してしまいます。

「朕も彼に会うのが恐ろしくてならず、日頃より除こうと思っておったのだが、これまでそのおりもなかったのじゃ。そなたたちにその忠義の心があるなら、よくよく心して覚られぬようにせよ」

すげー10歳です(汗)。

さすが皇帝陛下。曹芳殿下とは胆の据わり具合が違うっ!結局、諸葛恪を宴席に呼び出し暗殺することに成功します。

滕胤 孫権から後事を託された 諸葛恪暗殺 孫チンの対抗馬 ご多忙武将

 

聡明ながらも孫綝に肝を冷やされる

続いて、第113回。

ここでは孫亮の聡明ぶりが光ります。
梅の実を食べようと、蜂蜜を取り寄せたら、蜂蜜の中にねずみの糞が混じっていました。蔵役人を呼んで詰ったところ、役人は額を地面に打ち付けて、ねずみの糞が入らないよう硬く壺の口を閉じていますと謝罪。孫亮は、蔵役人のせいではないこと、また、ねずみの糞が芯まで湿っていないことを不審に思い、黄門を呼びつけます。黄門は覚えがないと言い張ります。

「隠してもすぐ分かることだ。糞が長く蜜の中に漬かっていたものなら、芯まで湿っているはず。もしいれたばかりのものなら、外は湿っていても、芯はかわいている」

糞を割ってみたら乾いていたので、黄門は罪を認めて謝罪をしました。結構大それたことしたんじゃないでしょうか?この黄門(汗)?この人がどうなったか分かりませんが、この時代なら死罪になってもおかしくなさそうです。もしや、孫チンの手下だから、孫亮も手を出し兼ねたのか・・・?

とにかく、孫亮は大変聡明であったのです。

・・・しかし、この時代の大将軍はジェノサイダー孫チン。孫チンに完全に押さえつけられて、孫亮といえども政には一切口出しできませんでした。

 

孫綝狩りっ!からのカウンター…

ある日、孫亮が屈託して座っているとおりよく側に控えていたのが、国舅全紀。

「孫チンは大権を弄してみだりに人を殺し、朕なぞまるであってなきがごとしじゃ。今のうち除かねば、先々、何を企むか知れたものではない」

全紀も死を覚悟し、協力することを誓います。

孫亮は続けて、

「そなたはただちに禁中の兵を起こし、将軍劉丞とともに城門を奪い取ってくれい。朕はみずから打って出て孫チンを殺そう。だが、これは決してそなたの母親に知らせてはならぬ。そなたの母親は孫チンの従妹だからな。万一、これが洩れたなら、朕の身にもかかわることであるぞ」

としっかりと指示と念押しをしました。

本当、曹芳よりもしっかり(略)。

初めて演義を読んだ高校生の頃、これは成功するという気がしたんですが・・・やっぱりだめでした。

全紀が親父の全尚に漏らす

全尚が妻に話す

全尚妻が孫チンに密告

孫チンは速攻で劉丞、全尚を捕らえ、孫亮のいる宮殿を取り囲みます。

孫亮は全皇后に、

「そなたの父親や兄が国を誤ったのだぞ!」

と罵るなり、先祖伝来の「sword of 古錠」を抜き放ち、重囲を突破しようと試みますが、皇后と近臣が泣いて取りすがり、引き止められました。

結果、会稽王に下され、16歳からの青春を会稽で過ごすことになりました・・・。

演義での孫亮は以上。

 

自分の考えを持っていたしっかり者の青少年

坂口先生の「真説その後の三国志」によると、孫亮は諸葛恪、孫峻、孫チンに大権を握られていたことに不満を持ち、15歳になったのを機に、自ら政治に当たろうとしました。孫チンの上奏に対しても反論し、時には聴許しないこともあったとか。

また、兵士の子弟で15歳以上18歳未満のもの3000人を選抜、将軍の子弟で年若く勇気ある者にこれをしきさせていました。なぜなら、当時は孫チン一門に兵を握られており、孫亮は子飼いの兵を要請し、これに対抗させようとしていたからです。

「私がこの軍を創設したのは、彼らとともに成長してゆきたいからだ」

まるで旧日本軍の「勤皇鉄血隊」のように年若な軍隊。孫亮の悲壮な思いがこめられています。

また、孫亮は孫権の昔の事績を知らべ、

「先帝はしばしばご自分の考えで、事の制定に当たっておられた・・・。しかし、私は孫チンが諮る上奏に対し、ただ『可』と書くことしか出来ない・・・」

陛下・・・(ノ_-。)。

こんな皇帝だったら、近臣も何とかしてバックアップしてあげたいと思っていたはず。孫チンみたいな奴がいなかったから、間違いなく国力は上がっただろうな~。

姜維との連携もうまくできそうだし。

惜しかったなあ~孫亮。
それにしても、過去の奸臣暗殺計画の前例をみると、国舅が出てくるとほとんど失敗していますね(汗)。

使えねーよ国舅(涙!

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